『メルセデス・ベンツ』より : メルセデス・ベンツ (Mercedes-Benz) は、ドイツの自動車製造者 ダイムラー・クライスラー(DaimlerChrysler AG) の高級乗用車やトラックのブランドの一つである*
日本ではBMWやアウディと並ぶ、乗用車の高級ブランドとして知られている。
日本で販売されている車種の価格は、約250万(メルセデス・ベンツ Aクラス Aクラス) ~ 5,700万円台(メルセデス・ベンツ SLRマクラーレン SLRマクラーレン)まであり、すべてのクラスにおいて、日本車で同じ排気量を持つ車種よりもかなり高額である*
1886年にドイツの技術者、カール・ベンツによって創設された世界最古の自動車メーカーの一つ。
1920年代より、当時ヨーロッパで盛んになっていたモータースポーツに積極的に参戦し、数々の好成績を収めその名声を確固たるものにした。
ゴットリープ・ダイムラーが、ベンツと殆ど同時期に創設したダイムラー社と合併したのは1926年である*
メルセデスベンツ・CLRは、メルセデス・ベンツが1999年にル・マン24時間レースのLMGTP規定に沿って開発したレーシングカー。
1998年、メルセデスは、メルセデスベンツ・CLK‐GTR CLK-GTRの発展型であるメルセデスベンツ・CLK‐LM CLK-LMでル・マンに出場するが、トラブルによりレース開始後2時間ほどで全滅という大敗を喫してしまう。
そして1999年、CLK-LMをさらに発展させたマシンとしてCLRは開発された。
AMGのV8・NAエンジンを搭載し、ボディはCLK-LM譲りのロングテールやメッキグリルなどの特徴を残しつつ、空力を徹底的に重視して限界まで低く設計された。
ル・マンには3台が投入された。
なおLM-GTPはGTカーではなくあくまでも「プロトタイプ」としてのカテゴリーに位置づけられていた為、この車輌のロードカーは存在しない。
メルセデスベンツ・C291は、グループCカーのうち、1991年から発効されたカテゴリー1に属する数少ないグループCマシン(競技専用車)である*
メルセデス・ベンツは、1985年からスイスのペーター・ザウバー(元フォーミュラ1 F1・ザウバーチームのオーナーであり、BMWザウバーのアドバイザー)へのエンジン供給という形で当時の世界耐久選手権(WEC)に関わった。
その後徐々に支援を拡大して行き、1988年からは公式にメルセデス・ベンツのワークス活動として世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)に参戦する。
翌1989年からは伝統のシルバーアローと呼ばれるボディーカラーに変更する。
1989年、1990年シーズンは、市販車ベースのレーシングエンジンを使用したザウバー・C9/メルセデス C9、メルセデスベンツ・C11 C11を投入しシリーズを制覇したが、当時の国際自動車連盟(FIA)及び国際自動車スポーツ連盟(FISA)の方針転換により、1991年よりレース名称がスポーツカー世界選手権(SWC)と変更されたのに伴い、排気量無制限の燃費レースからF1(当時)の仕様である燃料無制限、3.5リッター自然吸気エンジンへの変更を余儀なくされた。
そのため、メルセデスはスポーツカーレースにもっともふさわしいエンジン形態のシミュレーションを行い、その結果180度V12型エンジンを実戦投入することとなった。
メルセデスベンツ・CLK-GTR (MercedesBenz CLK-GTR)は、メルセデス・ベンツとAMGとが1997年FIA GT選手権参戦用に開発した、国際自動車連盟 FIA GT1規定のレーシングカー。
1996年で国際ツーリングカー選手権(ITC)が終了したことにより、国際自動車連盟(FIA)はそれまでBPRと言う団体が主催して1994年に発足した「BPR GTグローバルシリーズ」(1995年及び1996年は鈴鹿1000kmもシリーズの1戦に加わっていた)と言う国際耐久シリーズをFIA直轄とし、1997年よりFIA GT選手権としてスタートさせた。
ITC終了で戦いの場を無くしていたAMGメルセデスは、わずか128日と言う短期間でGT1マシンを製作し、このシリーズにワークス参戦した。
エンジンは6リットルV型12気筒を搭載。
エンジンの開発に当たっては、マクラーレンF1を購入し、エンジンを自社開発したV12エンジンに換装してテストを行っている(ITCに参戦していたCクラスのバンパーなどを装着して擬装した車輌の写真も撮影されている)。
このため、当初はマクラーレンF1をベースに作られるのではという噂が流れていた。
当時のGT1規定は1台でもロードカーを作ればホモロゲーションが取れたため、ロードバージョンが25台製造、実際に販売された。
Cカー同様、モノコックはカーボンコンポジットであるが、ローラがシャシーの製造を手がけたといわれている。
メルセデスベンツC11は1990年スポーツカー世界選手権 世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)用にザウバーが製作したグループCカーである*
前年度のザウバー・C9/メルセデス C9の発展型で、C9同様メルセデス・ベンツ メルセデス製5L V型8気筒 V8 ツインターボM119を搭載する。
モノコックはこのC11からカーボンモノコックを採用した。
なおマシン名はこのC11から「ザウバー」が外れ「メルセデスベンツ」となった。
デビュー戦は1990年スポーツカー世界選手権 世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)開幕戦鈴鹿サーキット 鈴鹿だったが、予選でクラッシュし決勝は欠場(決勝にはC9で参戦)。
実質デビューの第2戦モンツァ・サーキット モンツァでは1-2フィニッシュを遂げ、以降参加した8戦中7勝とシリーズを圧倒し2年連続チャンピオンを獲得する。
しかしシリーズから外れたル・マン24時間レースには参加しなかった。
メルセデスベンツ・CLK-LMは、メルセデス・ベンツとAMGとが1998年ル・マン24時間レース及びFIA GT選手権参戦用に開発した、国際自動車連盟 FIA GT1/LM GT1規定のレーシングカー。
前年のメルセデスベンツ・CLK‐GTR CLK-GTRの発展型であるが、エンジンは5リットルV型8気筒に変更され、ラジエターもフロントからサイドへ移された。
その為CLK-GTRと比べボンネットが低く薄くなっている所が特徴である*
また全体の設計が改められ、車体全体が低く、薄さが一際強調されたスタイルとなっている。
CLK-GTR同様GT1ホモロゲーション取得用のロードバージョンが作られたが、市販はされなかった。
ル・マン参戦を公式に発表したのは予備予選も終った5月になってからで、ル・マン本番がデビュー戦となった。
予選ではトヨタ自動車 トヨタを抑えポールポジションを獲得するも(もう1台も3位)、決勝では2時間で2台ともリタイヤに終る。
FIA GT選手権では第3戦ホッケンハイムリンク ホッケンハイムで、CLK-GTRに換わりデビューし優勝。
この後最終戦(第10戦)ラグナ・セカまで全てのレースで優勝し、2年連続でチーム(AMG)とドライバーズ(クラウス・ルドヴィク/リカルド・ゾンタ)のダブルタイトルを獲得する。
なおプライベーターには供給されておらず、ワークスチームのみの供給に留まった。
その為、メルセデス陣営はル・マン以降はCLK-GTRとCLK-LMの混走となっていた。
メルセデスベンツ・C292は、グループCカーのうち、1991年から発効されたカテゴリー1に属し、1992年にスポーツカー世界選手権に参戦予定だった幻のグループCマシン(競技専用車)である*
メルセデス・ベンツは、1985年からスイスのペーター・ザウバー(元フォーミュラ1 F1・ザウバーチームのオーナーであり、BMWザウバーのアドバイザー)へのエンジン供給という形で当時の世界耐久選手権(WEC)に関わった。
その後徐々に支援を拡大して行き、1988年からは公式にメルセデス・ベンツのワークス活動として世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)に参戦する。
翌1989年からは伝統のシルバーアローと呼ばれるボディーカラーに変更する。
メルセデス・ベンツの車種 C292