1、疑問※戦国時代から秦・漢期にかけて徐々に付加執筆されて成立した中国最古の地理書。
①『山海経』の記述 「蓋國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。
倭は燕に属す。
↓紀元前の燕の貨幣は沖縄と朝鮮北部からしか見つかってません。
燕は河北・東北南部と朝鮮半島北部を領していましたよね。
北部朝鮮から見つかるのは、納得。
日本では最古の燕の貨幣 沖縄から見つかる。
あれ(?_?)②『漢書』「樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」楽浪海中に倭人あり、 分かれて百余国をなし、 歳時をもって来たりて献見すと云う。
百余国をなし、あれ(?_?)2、疑問日本書紀は「遣隋使」を書くべきところに「遣唐使(なんで?
)」と書いていますよね。
『隋書』には、倭王からの使者が長安に来たとしています。
そこで、長安と倭国との関係を考えると交易をしていたことが考えられますよね。
奄美の遺跡から大量に出土したヤコウ貝、中国長安ではヤコウ貝が大量消費されている。
奄美の遺跡の年代を考えるとこの時代は連動していると思います。
中国の長安では皇室工房で螺鈿製品が生産されたためヤコウ貝が重宝され大量消費されていたとのこと。
ヤコウ貝は中国貨幣(開元通宝)と交換されたのではないですか?
日本国内で見つかった7・8世紀の中国貨幣(開元通宝)の8割は沖縄で見つかっています。
「遣隋使」と深い関係にあったとされる倭国を名乗る関西地区が7・8世紀の中国貨幣が少ないっておかしくないですか?
ヤコウ貝は、どうかんがえても奄美・沖縄→九州→中国、奄美・沖縄→中国ルートでしょう?
3、疑問『旧唐書』日本について『倭国』と『日本国』の条がある。
「日本国者倭国之別種也。
以其国在日辺、故以日本為名。
或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。
或云、日本舊小国、併倭国之地。
」日本国は倭国の別種なり。
その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。
或いはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。
或いはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたり、と。
『新唐書』日本伝後に稍く夏音を習い倭の名を悪み、更えて日本と号す。
使者自ら「国、日の出る所に近し。
以て名と為す」と言う。
或は云わく「日本は乃ち小国、倭の并す所と為る。
故、其の号を冒す」と。
「日本乃小国、為倭所并、故冒其号。
」故に青、姓を冒し、衛氏と為す<漢書、衛青伝>結局、国をのっとったってこと?